我が人生と社会時評

 昭和建設会長で、建設省専門委員の森卓男さんと、日立市の山森材店社長で、県政策審議会員の森秀男さんが実の兄弟であることを知っている人は、意外に少ない。立場の違いこそあれ、その活躍ぶりは知る人ぞ知るだが、県内の高名な人たちの間でも、2人の関係を知って「まさか・・・」という程である。

 両氏は男5人、女2人の7人兄弟の長男と末っ子で、年齢がちょうど20歳違いという”ひらき”もあって、そうなのかもしれないが、2人は正真正銘の兄弟。もっとも、共に日立市に居住しながら、公私のせわしさもあり余り会う機会や話し合う機会も無いらしい。そこで、正月明けのひととき、新春・兄弟対談――というわけで、お2人に”対面”を依頼。兄弟ならではのエピソードや、教育、政治、中小企業のあり方など、現在の直面する社会問題について意見を交わしてもらった。

 以下はその要旨だが、年齢の違いこそあれ、共に鋭い時代感覚と、豊かな経験、見識の持ち主だけに、その内容は今後に啓示するものの多い「社会時評」であり、人生講義である。

―お年が20歳違いですね。御兄弟が7人で皆揃っているということは珍しいですね。弟から見て長兄というのは―

森秀男:一緒に育った経験もなく、大人になってから接触しましたので、兄でもおやじみたいなものです。先輩でもあり、いいところは吸収していきたいと思っております。

―お兄さんからみてはいかがですか―

森卓男:私は長男でもあり、親と同居するのが本来の使命なのでしょうが、若い時に1人で社会勉強したいというか、政治にも手を出したりして、弟たちと一緒に暮らすことはなかった。
 ただ、自分の生業が建設業というところから相通ずるものがあって、情報とか考え方とか交流することもあります。ただ育った時代が違いますので、やはり若干話していてもニュアンスが食い違うこともありますが、私も年が年ですが現役で頑張っているのでこっちも勉強することもあります。

秀男:年が離れすぎてけんかのしようがない(笑い)。

―兄弟それぞれの道を歩んでおられるようですが―

秀男:全部違いますからね。四男坊はアメリカでは牧師をやっています。

1、親しき仲にも礼儀あり!!
―現在非常に教育の問題が論じられておりますが森家の教育について―

卓男:私は常に教育とは家庭教育が原点だと思います。ある結婚式の祝辞に”おはよう”、”おやすみなさい”と必ずあいさつを交わしなさい。来年子供が出来る、その子供は親の姿勢を見て育って行く。私の家には2歳の孫がいますが、おじいちゃん、おばあちゃんに”おやすみなさい”といって床に就きますし、朝もちゃんとあいさつをします。
 やはりけじめといいますか、”親しき仲にも礼儀あり”でここのところを大きくとらえているのが教育の原点ではないでしょうか。私は、夫婦になった時点からそうして来た。幸いにして、子供たちも今日まで人様に迷惑をかけずに社会人として育っている。もう一つは自分に厳しいことを子供に見せること。
 
 これは大人にも適用することだ。家庭が大事であるとするならば厳しくしつけないことを現に許さないことが子供のためにいい。

―ひとりっ子は甘やかされますが、家族が多いと芋洗うように洗ってわりに元気のいい子が出来るといいますが―

秀男:兄の考えでは親の感化もあると思う。私は年をとってからの子供なのでやさしくされましたが、厳しいおやじでした。
 明治の男らしい筋の一本通った哲学みたいなものを持っている”吾が身をつねって人の痛さを知れ”としょっちゅういわれました。私などは共存共栄、社員がよくなると会社もよくなる、従業員というのは宝だということを小さい時からよくきかされた。そうした親の教えが、職業上も、人生の上でも、今でもそうですが、大いに生きてきました。それにおふくろがえらいです。頑固なおやじを補佐して、やさしく、かいがしく私共子供を面倒みてくれました。感謝しています。
           
卓男:親から受け継いだ、いい、悪いをしっかりつかんで子孫にバトンタッチする。子供たちが、孫をそれなりの育て方をしているのをみると、やはり親の気持は子供に受け継がれていく。
 自分の心を鏡にてらす如くみたいな気で見ているがこれは大事だと思う。

秀男:兄の孫がおばあちゃん思いで、年寄りを大事にする。
 世の中順おくりというが、親の感化、教えというのは大きいですね。それに、90代の両親を頂点にして、現在3世代、4世代の一族がいるわけですから、世代の違い、かわりがよく見えます。

―お兄さんの言った教育の原点は家庭にありというのがわかりますね―

秀男:私の3人の子供もなんとか、人様に迷惑をかけないで育っている。とにかく子供というのは親のいいところも悪いところもまねする。こわい位です。いかに夫婦仲をよくするか子供の教育には大事ですね。

―家庭内暴力とか、親子の断絶とか、親子との会話の不足とかがいわれてますが―

卓男:おじいちゃん”お早よう” ”お休みなさい”というひと言。これから全てが始まるわけで、それを基本に考えれば、しぜんに会話も生まれるし、親子の断絶は出てこない。その辺が1つのポイントと思う。

秀男:たとえば、娘にボーイフレンドがいたとして、娘がその人を親に気軽に紹介したり、相談かけたりする。親子がそういう関係、フランクに話せることが一番大事だと思う。

―秀男さんはよく海外に行かれるようですが、韓国の長幼の序が実にきちっとしていると話にきいてますがヨーロッパに行かれて如何ですか―

秀男:ドイツなどでは、家庭教育の厳しさで有名ですが、当然だと思う。日本は間違っている。
 共同生活には道徳とか礼儀とか必要だ。ドイツも戦後混乱して日本と同じ悩みをもっていますが、親と子、近所同隣士、友達が助け合うとか、そういう事については真剣に考えていますね。

卓男:日本人は礼儀作法も含めて常識的なものを大事にしたい心を持っている民族です。従って、若干批判される現象が物質文明の中で出て来てしまいましたが、これではいけない、直さなくては、という流れが出てきていますし、私は本来の日本的姿に戻るのもそう遠くないという気がしますね。

2、すばらしい文化遺産継承を
―機械文明が発展して来ている中で一番大事な人間的なものが失われて行く。その中での家庭の問題は今まで以上に大事ですね―

秀男:私は中国に8回もなぜ行ったか。最初びっくりした。
 経済は日本の20分の1だが人間同士の心は遜色ない。日本の青年と中国の青年と話し合わせてみても20分の1の精神ではない。ある意味で上ですね。毛沢東にしても、生産第一主義でやれば生産はどんどん上がることは百も承知していた。
 
 しかしわざわざ非生産的な人民公社方式を採用にしたのは、物と心の調和ある発展をとげようと考えたのではないか。日本の場合はとことん科学文明を進めて、物の豊かさを追求してきた。それはそれで、生活が豊かになったわけで否定はしませんが、人間らしい精神文化は、となるとどうも疑問。文明が人類を亡ぼすことになったら大変だ。私が柄にもなく文化活動をやってきましたのも、そのあたりにあったんです。

卓男:最近文化講演会に行っても、科学とか文明の講演には興味がなくなって来ている。むしろ我々の祖先がどういう生きざまをしたらよいかという話に共感がもたれている。これは日本人としての心の糧、人間味とは何だということを無意識の中にたどっているのではないか。幸いにして物質的に恵まれ、生活も向上しているのでこうれからそういう線に目をふり向けられる情勢に入って来ているという見方をしている。

秀男:日本人はダメになる前に気がつくし、ひずみに気がついてやっきになって人間らしさを取り戻す知恵を持っている。

―我々の先輩、祖先が残してくれた文化遺産はすばらしいものがあるにもかかわらず、気づかずに過ごしてしまっている。それをもう一ぺん見直し発展させる努力をすることですね―

秀男:良さを発掘し、先輩が後輩に親が子にいろいろなものを伝えたまわる。そういうことをやって行けば相当先人の残したものは財産として活用されるのが1つと、ある種の努力はそれを利用して悪い面に引き戻そうとするかも知れない。ここは男気と良識を持ってよいものをえらんで伝承することが大事だと思う。

3、逆転した旦那と女房の立場

卓男:その点、ことしあたりからそうした基本的な面が、日本では論議されると思う。かりに行革の話にしても戦後、官僚のつくったものが左まいになった。官僚政治は真向から否定しないが、官僚機構は女房みたいなもので政治家が旦那であるべきだ。その旦那が逆になっている。女房に頭が上がらない。
 この辺で旦那に代わって貰うとうのが中曽根政権であり、鈴木さんから伝承した行革の行き方だ。女房が手を出しすぎて風呂敷を拡げすぎた。あまりに官僚が賢夫人で、亭主なんか居ても居なくてもいいということでやってきた。今度は本腰をいれて女房をとっちめてというのが行革だと私は思うんです。

4、時代感覚に敏感たれ
―地方の時代といわれているが、地方自治権はもっとも拡大してもいいのではないか。なんでも上の顔色を伺ってやるというから官僚がのさばる。

秀男:そのとおりですね。それと、旦那を選んだのは国民なのだから議員だけをせめるわけにはいかない。オンブにダッコで役所にまかせたので官僚機構が大きくなった。もう1つは質の問題がある。ひとりひとりが自らおさめる原点がやはり地方の時代の基本だと思う。選挙にしても、町をよくするのには手弁当で自分の代弁者をえらぶ。今は余りにカネがかかりすぎる。

 そうすると政治もよくなるわけで、選挙そのものも見直す時期に来ているのではないか。

―お兄さんは22年に県会議員を一期やられてますね。

卓男:その時商売をやっていたので、政治を真剣に考えれば考える程、その両立はできないそれで一期でやめた。

秀男:この人は潔癖ですよ。三男も市会一期やったがやめました。

卓男:総理の中曽根さんとは32年つき合っているが、彼が塾を作った基盤には水戸学がある。私も彼に国会と勧められたこともあったが、なかなか芯のある人だ。

秀男:中曽根さんは悪い意味で風見鶏といわれるが、私は今の政治家はいい意味でというか時代や内外の動きに敏感な風見鶏ではないとダメだと思う。特にこれからの政治家は。

―さて、お兄さんは建設業組合の理事長などをやられてきましたね。中小零細企業声が成り立って行くには結束が大事だと思うが、これから厳しい世の中でますます重要になって来る。

5、今こそ協同組合の見直しを
卓男:協同組合は通産省でも細かい1つの体系を掲げて予算もとってやって来ているが、資本主義経済をとっている関係かこれまでは大手指向で政治が動いて来た。それを圧倒的に多い中小企業が、政治を自分のものにしてゆく。その為にこそ協同組合が必要なんですよ。ところが、協同組合を作ってもすぐメリットがあるものと考えて、それを欲しがる。

 組合というものは作って、活用して、お互いに生きのびようという発想から出発しており、メリットがあると先に答えを出すところに問題がある。建設業協同組合で10年とりしきってみたが、その趣旨を理解したものが20とか30人で、その範囲内で合同してやるのが最も効率がいい。全県的組織でないと国、県の援助が出きないという事情もあるが、目先のメリットをつかむことに走ると、せっかく作っても内部の利害対立や、団結心が崩れたりして、形はあるが実際は閉店作業の状態に陥ったり、その効果が発揮されない。そういうケースが多いんです。

 そのあたりの基本理念をわかっている人が余りいない。協同組合はもともと戦後の片山内閣の唯一のおとし子で、自由主義経済の理念を導入したものです。だから利益分配は公平を原則としており、そこに協同組合のよさ、哲学がある。

秀男:中小企業は九割でしょう。日本の企業が、これから進むべき道でこの協同組合方式はより大事になってきますよ。

卓男:いかなる政党が政権をとっても中小企業経済の道はこれしかない。協同組合は個々の企業が生きるために大手に数で対抗するわけで、安い金利の金も用意しよう、資材の面もバックアップしようと振興基金も作っている。いま建設省で住宅の方もやってくれないかといわれている。というのは、今は土地が高く、住宅公団にしてもそう手が出ない。

 そこで、地主に金を出して賃貸住宅を建てさせる。そうすれば、地主も入居者もそう負担を感じないで住宅事情に応じられるわけで、それを何とかやってほしいと住宅局から話が出ている。社団法人、賃貸住宅経営合理化研究会というのがそれです。

―たしかに何千万の家は低所得者には買えないので今後考えていかないと
卓男:野党も住宅投資が果たして景気浮揚の起爆剤になるかどうか疑いを打ち出している。

―ネックは土地の問題ですね。
秀男:中小企業が生きのびる手段として協同組合を再検討しなくてはいけない時代に来た。しかし、協同組合を作って何がもうかるのだ、金を出すのはいやだという考えがいぜん強い。むずかしい問題です。

卓男:団体のリーダーは強烈な指導理念を持たないと―。
 茨城には協同組合が二千位あるが活動しているのは10%位。これでは誰かやってくれるだろうという棚ボタです。

―こういう風に経済状態がきびしくなって行くと協同組合を見直すことは中小企業の道をきり開くことになるかも知れませんね。

卓男:漸し協同組合の出番が来た。政府も心配している、政府も応援するというのだからこのチャンスをのがさないようにしたい。

秀男:大半をしめるのが中小企業なので、地元サイドでいえば商工会議所も政治的に口を出すことでしょうね。

卓男:中小企業はもっと政治を握まなくてはならない。政府の方も腰を下げて来ている。通産省もキメ細かい施策をもっている。いまチャンスです。

6、これからの指導者像、強烈な指導理念を
―ここで指導者論を1つ。明治、大正、昭和と断層がある。大正は15年の短い期間で昭和にリリーフしたわけですが、茨城の各界でも新旧交代のめばえが出て来ている。経済の世界ではどうなのか―

秀男:今は相当見る目が肥えてきたし、物がわかっている。
 経済が低迷する私は本物と偽物がはっきりする時代、しがらみでトップの座、権力の座についている人もいるが、そろそろことしあたりから、そのあたりがはっきりわかって来ると思う。
 我々の小さな会社にしても有能な社員は社長と一緒にやって行けるかどうか、鋭く見ますから、足もとを見られると良い社員は出て行く。結果としてどうしようもないのが残ると会社はダメになるか非常にきびしい。

 地方自体のリーダーにしても誰がやっても同じだという風潮、声を耳にしますが、それだけ市民の見る目がきびしくなっている証左です。にせ物と本物が本当にはっきりする時が来たと思う。

―私もそう思いますね。
卓男:今の人は情報過多の時代なので一応は批判力はもっている。しかし、情報をメリットとしてどう結びつけるか迷っている。そこら辺に問題があるのではないか。新旧交代の話で、私はよくいうんですが、20代は学習の時代、30代は学習と世の中の可能性をはかる時代、40代はその可能性が顔として評価される。そして格づけされるのが50代です。20代、30代でなかなかいいものを持っていたのが、40代になるとしぼむ人がいる。これは家庭なりまわりが押さえこんでしまうのかも知れないが、人間は、40代をどう生きるか、それによって決まりますね。

―たしかに、今の人をみているとはがゆいと思う時がある。押さえこまずに押し上げる様に持って行くことでしょうね。

卓男:県会にいた時、記者クラブで水戸というところは人をほめることの出来ないところだほめる運動をしようといって笑われた事がある。人をひきずりおろすと反動で自分が上がる様に思っている。

―幕末からの諸生党と天狗党の争いが糸をひいているのは事実ですね。

7、物質文明さようならの時代に
秀男:物には限度があるが、心ぐらいは豊かにみとめ合いたいものですね。ほめあう運動、あいさつは誰でも心がければできることです。指導者論とはずれますが、これからの企業にしても、地域づくりにしても、マネー主義といいますが、金が第一だという考え方を克服してその分知恵や心の問題を重視していけば、企業も伸びるだろうし、地域も住みよくなるのではないか。真に心の時代、物質文明さようならの時代に入ってきたのではないかと思います。

―いいお話をしていただいて有難うございました。

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